演出『日澤雄介ソロインタビュー』
新宿・歌舞伎町に集う「トー横キッズ」を題材に、現代を生きる誰もが抱える生きづらさを丁寧に描く本作。その演出を手掛ける劇団チョコレートケーキの日澤雄介に、作品に込める思いを聞いた。
なぜ子どもたちは「トー横」に集まるのか
――本作の脚本は、日澤さんと同じく劇団チョコレートケーキに所属する古川健さんが担当されました。古川さんの作品としては珍しく、現代の新宿が物語の舞台となっています。
日澤:社会的に話題になっている「トー横」という題材をこのタイミングで扱うのは、とても興味深いと思いました。古川くんが現代劇を書くのも珍しいですし、僕にとっても「今」を演劇で描く経験はあまり多くはないので、いいトライになるだろうとやりがいを感じましたね。
――お二人とも、これまであまり現代を舞台にした作品を手掛けてこられなかった印象がありますが、その理由はどのあたりにあるのでしょうか。
日澤:そういった作品を避けていたというわけではないんです。そもそも演劇で「今この瞬間」を題材にすること自体が、実はそう多くはないんじゃないかなと思います。それに、僕自身が過去の事象だったり、これまでの社会構造といったところに主眼を置く作品に取り組んできたなかで、「トー横」もあくまで社会構造の一つであると認識しています。
――「トー横」や「トー横キッズ」という存在を、日澤さんはどのように受け止めていますか?
日澤:「トー横」で起こっている事象自体を見て「遠いな」とは感じていました。若者が街角に集まって、何をするわけでもなく話をしたりして過ごす。ある種の希薄な人間関係、何にも影響されない距離感があって、そこで犯罪が起こることもある。そういう事象に対して、「どうして集まるんだろう」という疑問があったんです。いろいろと本を読んだり、稽古場でディスカッションしたりするなかで印象的だったのは、「ごく普通のことが、たまたまトー横で起こっているだけ」だということ。トー横が特別なのではなく、例えば教室や部活動、児童館でも同じことが起こっているんだと言われると、確かにそうだよねと感じる瞬間が多かった。そういう意味での発見が日々あって、「トー横キッズ」も同じなんだな、と今は受け止めています。
――一方で、「トー横」ならでは、今の時代ならではの側面というといかがでしょうか。
日澤:僕らが若い頃と比べて何が違うかと言えば、やっぱりインターネットなんですよね。情報の量やその受け取りやすさ、渡しやすさがここ数十年で全然違うんですよ。むしろ違いはそこしかないというくらい、絶対的だと思いました。
――インターネットという「リアルではない場所」が広がった今も、人はやはりリアルな場で他者と関わろうとします。
日澤:不思議ですよね。インターネットで不特定多数の人間と繋がりを持てる社会のなかで、それでもネット上ではなくリアルな場を求めるのは、いつの時代も変わらないんだなと。学校や家族といったところに何かしらの居心地の悪さ、居場所のなさを感じる子どもたちが、昔であれば近所の公園に集まっていたのが、今はネットで「トー横に集まれるよ」という情報を得て実際に足を運んでいる。そういう情報が入ってくるということが、すごく特殊なのかなと思います。
誰もが持っている「間違える」という人間らしさ
――本作では、興信所の調査員・本郷(演:宮﨑秋人)が、トー横で娘を亡くした母親の依頼を受けたことから物語が動いていきます。本郷という人物をどのように描こうとされていますか。
日澤:秋人さんが演じる本郷さんのポジションは難しいんですよ。本郷さんも屈折を抱えている人物で、彼がトラウマを刺激されながらも、いったいどういう心境でトー横という場所に足を踏み入れていくのか。本郷さんのいわば「やる気スイッチ」を探しながら稽古を進めています。
――調査の過程で本郷が出会うのが、綱啓永さん演じるジャック。トー横を「卒業」できていない大人であり、子どもたちを見守る存在です。
日澤:ジャックさんはちょうどここ数日の稽古で、方向性を変えようかなといろいろ試しているところなんです。トー横に居ついている人物なので、少し影があって、兄貴肌でもあって、というふうに綱さんに取り組んでもらっていたんですが、むしろもう少し友達に近い感覚で若い子たちに接したらどうなるんだろう、と。綱さん自身が笑顔が魅力的な方で、特に秋人さんと一緒にいるとすごくニコニコしているんですよ。ジャックという人物にもそういう瞬間があっていいんだよなと思いながら、そこにいる存在感というものをどうやって作っていこうか、今まさに考えているところです。
――「トー横キッズ」を子どもだけの問題ではなく社会全体の問題として描きつつ、本郷・ジャックをはじめとする大人たちを「悪者」には描かない。そのバランスはどのように意識されていますか?
日澤:「悪者」というか、彼らは「間違えてしまった」人たちではあるけれども、そもそも人間は間違える生き物ですから。その間違いに気が付いて、反省して、また新しく人間関係を築いていくということ、「いつでもやり直せる」ということを大切にしたいと思っています。どうしても影の部分に目が行ってしまいがちですけど、役者さんたちが明るいので、彼らの愛嬌、人間味みたいなところを出していけるんじゃないかなと思います。
「大したことない、大丈夫だよ」とお伝えできるような作品に
――先ほどの「いつでもやり直せる」というお話について、もう少し詳しく聞かせてください。
日澤:人間はいつでも、どこからでもやり直せると思います。誰もがみんなすごくいろいろなことを抱えていて、みんな大変なんだけど、でもきっと大したことない、大丈夫なんです。大人も子どもも関係なく、ストレスで自分を追い込んでしまったり、バランスがわからなくなって潰れてしまったりするじゃないですか。でも、別の視点から見てみたら意外に大したことではなかったりする。生きていればやり直せる。生きていれば、「大したことない」と気付くことができる。そして、結局「ちゃんとしている人」なんか一人もいないんです。「大人」だって、18歳になった、20歳になったっていうだけで、不完全なものだという事は変わらないですよ。みんなそれぞれ、いろいろなものを抱えて生きている。そういうことをこの作品でも考えていきたいなと思っています。
――日澤さんご自身がいい意味で「大したことない」と思えたできごとはありますか?
日澤:例えば、昔ある現場で「これはもうダメだ」と思ったことがあって。僕がやろうとしていることと、まわりの人が求めていることが違っていたりして、煮詰まってしまったんです。そのときに妻に「やれることをやればいいんじゃないの」と結構さらっと言われたんですよ。僕もふっと力が抜けて、マイナスな気持ちを抱えたまま向き合うのが一番つらいんだということに気付いた。それで「結果はどうあれ、もうちょっとがんばってみようかな」と思って乗り切ることができた、という経験がありました。
――本作をご覧になる方のなかには、登場人物たちと似た経験を持つ方もいらっしゃるかもしれません。そうした「今まさにある問題」を題材にするうえで、どのような点を意識されていますか?
日澤:『Too Young』では繊細な題材を取り扱っているので、台詞や表現の仕方においてある種の劇的なものは求めつつ、観てくださる方への配慮は欠かせないということが一つですね。もう一つ僕がこの作品で言いたいのは、結局、人と人とが関わることによってしか乗り越えられないのではないか、ということ。自分だけで乗り越えようとしてもしんどいんですよ。人間関係が希薄なトー横というコミュニティを描いているんだけれども、そのなかでの人の温もり、人と人との関わりをしっかりと表現することによって、観ているお客様にも「一人じゃないんだな」と思っていただけるようにしたいなと思っています。
――最後に、舞台『Too Young』をどのような作品したいとお考えですか。
日澤:まずは、この作品に出てくる登場人物のみんなが愛おしく感じられる舞台にしたいなと思っています。いいとか悪いとかっていうのはどこから見るかの問題であって、「トー横」も僕たちのような外側の人間が見ると、「あの人たち、何をやっているんだろう」と思うんだけれども、内側に入って話してみると、なんてことはないんですよ。いい悪いとか善悪という二面で片付けてしまうのではなく、人間にはその両方があって、みんなバランスを取りながら生きている、そのバランスが崩れたときにいろんなことが起こったりぶつかりあったりする――それは個人も地域も国も変わらないと思います。本作では7人の俳優さんを通して、今の社会って生きづらいこともたくさんあるけれども、でも少し視野を広く持って、肩の力を抜いて、ちょっと空でも見上げてもらえるような気持ちになってもらいたい。お客様が少しでも「大したことないかも」と思えるような、少し足取りが軽くなって劇場を出られるような、そんな作品にしたいなと思います。
取材・文/榊恵美 撮影/遠山高広
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